Logo nipponnotsubo
ad head
header
หน้าแรก ความบันเทิง วัฒนธรรม ไลฟ์สไตล์ สังคม เทคโนโลยี แฟชั่น ธุรกิจ

日本のお化け──幽霊(ゆうれい)と妖怪(ようかい)

タイではお化け(ผี)のことを、お化け(ผี)という1つのカテゴリーでくり、その中にピーガスーや、ピーガーハン、ピーボップなどがあります。ところが日本では、昔からお化けを2つのカテゴリーに分けています。それは、「幽霊」(ゆうれい)と「妖怪「(ようかい)です。

「お化け」とは、普通に自然界に存在する生き物ではない、超自然な存在の総称です。こう説明すると難しいのですが、タイの「ผี」に相当します。日本人が「お化け」と言うときは、「ผี」と翻訳して良いでしょう。

しかし、その「お化け」には2つのカテゴリーがあります。まず「幽霊」ですが。その「幽」という文字は、入れ物の中で炎が微かに揺れている様子を表す象形文字です。「微かな」「見えにくい」という意味があります。一方の「霊」は、死者の「魂」の意味です。すなわち、「幽霊」とは、「微かに見える、死者の魂」という意味なのです。

ゆうれい(幽霊)

วิญญาณ「幽霊」とは、人間が死ぬ時に思い残すことが多かったため、体は滅びてしまったのに、魂が天国に行けずにこの世を彷徨う姿です。例えば小さな子供を残したまま死んだ母親は、子供のことが心配で幽霊になることがあります。結婚式の直前に死んだ人が、恋人と別れたくなくて、恋人に会いに来ることもあるでしょう。あるいは酷い殺され方をした被害者が、犯人を恨んで脅かしに来ることもあります。江戸時代(1603─1886年)に完成した「四谷怪談」や「皿屋敷」は、殺された女性が、犯人を恨んで出た代表的な話です。

วิญญาณ幽霊は普通は夜に出ます。それは仄かな光であり、昼間は太陽の光で見えないからでしょう。しかし、昼間でも写真に写ることがあり、「心霊写真」(しんれいしゃしん)と呼ばれます。これはタイでもありますね。

幽霊は魂であって、実態が無いので直接、人を傷つけることはありません。しかし、幽霊は、人間にとって怖い「死」を連想させるものですから、その存在自体が怖いのです。特に、幽霊を見る人の心に負い目があると、とても恐ろしく感じます。例えば、自分が殺した相手が幽霊になって出てくると、それはとても恐ろしく、贖罪を促します。

幽霊が特定の人の元に出る場合は、「幽霊に取り憑かれた」と言います。幽霊に取り憑かれた人は、心が病み、そのままにしておくと衰弱して死んでしまいます。取り憑いた幽霊から逃れるには、僧侶に供養してもらい、彷徨える魂を天国に行かせてあげなければなりません。

ちなみに日本の「幽霊」には、「足が無い」という説があります。足の無い幽霊は1673年に描かれた絵の中に初めて登場します。どうして足が無いのか、色々な説があります。「描くときに生きている人間と区別しやすいため」「夜に幽霊が出ると暗いので足元まで見えない」などです。しかし、足の無い幽霊は、むしろ少ない方であり、「日本の幽霊には足が無い」とは言えません。「日本には足がない幽霊もある」と言う方が正しいでしょう。

ようかい(妖怪)

ภูตผีさて、「お化け」のもう一つのカテゴリーである、「妖怪」とは、人間や動物に何かの霊が取り憑いたもので、異常な姿になったものです。あるいは大変に長生きしたことで、妖怪になることもあります。妖怪の中には神通力や魔力を持つものもあります。これは「物の怪」(もののけ)とも呼ばれます。

日本には昔から、動物や植物の霊、あるいは超自然の力が、人間や動物に取り憑くことがあると信じられてきました。霊や超自然の力に乗り移られると、人間も動物も異常な状態になります。乗り移る霊としては、狐が代表的で、何かが乗り移ることを「狐憑き」(きつねつき)と言うこともあります。他にも、犬、猫、牛、鳥から虫まで、生きているものなら何でも魂があり、何らかのきっかけで人間や他の動物に取り憑くことがあります。また、とても古い物には魂が宿り、それが取り憑くこともあります。例えば高齢の樹木や古い家、御椀など、何でもあり得ます。

ท่องราตรีร้อยปีศาจ

昔の日本では、妖怪は人間には理解できない異常な出来事の原因と考えられました。それは昔の人間たちには科学知識が乏しく、特に自然現象に畏敬の念を持っていたからです。

平安時代(794-1185年)末期にまとめられた「今昔物語集」(こんじゃくものがたりしゅう)には、深夜になると当時の街を百の妖怪からなる集団が歩き回ると記述されています。これを「百鬼夜行」(ひゃっきやこう)と呼びました。

ประเภทผีญี่ปุ่น


怪談(かいだん)ブーム

江戸時代(1603-1868年)になると、幽霊と妖怪は恐れられながらも、その奇怪な姿や現象のため、エンターテインメントとして親しまれるようになりました。それが怪談(かいだん)ブームが起こりました。怪談とは、幽霊や妖怪の話のことです。特に庶民が好んだのは「百物語」(ひゃくものがたり)です。夜中に百の怪談をすると、最後の会談を終えたときに本物の幽霊や妖怪が現れると信じられていました。1677年には「諸国百物語」が刊行されました。これは日本全国にあった様々な妖怪の物語を集めたものです。他にも複数の百物語が刊行されました。浮世絵画家の葛飾北斎(かつしか・ほくさい)は、浮世絵で百の妖怪を描いた「百物語」を出しています。

ตำนานร้อยเรื่อง

幽霊も妖怪も科学技術の発達とともに、「迷信」として扱われるようになりました。しかし、現代でもマンガやアニメ、映画などエンターテインメントでは大人気です。日本の妖怪マンガの基礎を築いたのは「水木しげる」(1922年-)という作家です。1960年代に出した「墓場の鬼太郎」(はかばのきたろう)は、様々な妖怪を取り上げ、シリーズ化して、アニメにもなりました。現在でも日本で最も知られる妖怪マンガです。

幽霊では、最近なら「トイレの花子さん」が映画やアニメになっています。

คิทาโร่ที่日本人にとって「お化け」は、幽霊にしても、妖怪にしても、それは生きている人間たちに対する忠告です。幽霊は、皆が死後に天国に行けるよう、お互いのことを傷つけないようにしなければならないことを示唆しています。例えば、小さな子供を残して死んだ母親でも、周囲の人々が子供たちの世話をきちんとしていれば幽霊になって出ることはないでしょう。

一方、妖怪は自然への畏敬を求めるものです。どんなに人間の科学技術が発達しても、超えられない自然の力が存在します。妖怪はいつの時代になってもどこかに存在しているということです。 By Noboru

タイ語版

วัฒนธรรมญี่ปุ่น

หม้อความรู้เกี่ยวกับญี่ปุ่น nipponnotsubo にっぽんの壷

右上大型広告
Custom Search
Copyright © 2011 Nipponnotsubo.Inc.
All Right Reserved.
nipponnotsubo@gmail.com
nipponnotsubo@hotmail.com