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日本の伝説のスター(その1) キャンディーズとピンクレディー


日本には何十年も前に大人気を得た、伝説のスターたちがいます。1950年代から1960年代のスターたちは、映画が全盛の時代でしたから、映画スターです。その中でも特に有名なのは、美空ひばりと石原裕次郎です。しかし、2人とも今は亡き人になってしまいました。また、彼らを大好きだったファンたちも今では70歳代から80歳代になっています。ちなみに、美空ひばりの晩年のヒット曲に「川の流れのように」という歌がありますが、これはAKB48のプロデューサーの秋元康が歌詞を書いています。

日本にはたくさんのスターがいました。その中で、現在の働き盛りの40―50歳代にとって、最も強い印象を与えたアイドルは、「キャンディーズ」と「ピンクレディー」でしょう。

キャンディーズは最初のテレビアイドルグループ

แคนดี้

「キャンディーズ」は女子3人組のアイドルでした。1972―1978年に活躍しました。彼女たちは日本のテレビ時代の最初の女子アイドルグループと言えるでしょう。メンバーの3人は、ランちゃん、スーちゃん、ミキちゃんと呼ばれ、コンサートでは青年たちが彼女たちの名前を大声で叫び続けました。

キャンディーズは、ほぐち・ゆうすけ(穂口雄右)という作詞・作曲家が作った歌で大スターになりました。有名な歌には「年下の男の子」「ハートのエースが出てこない」「春一番」「暑中お見舞い申し上げます」などがあります。この中でも「春一番」と「暑中お見舞い申し上げます」は、今でも春と夏になるとラジオで流れる国民的な歌になりました。

แคนดี้キャンディーズは、歌だけではなく、その可愛らしいキャラクターから、バラエティー番組のマスコットとしても活躍しました。特に「8時だよ全員集合」(1969年-1985年)という日本人の半分が観ていた大ヒット番組にレギュラー出演していました。また、「みごろ!たべごろ!笑いごろ!」という番組も人気がありました。

このキャンディーズは、とても人気があった1977年に突然、「普通の女の子に戻りたい」と言って解散宣言をしました。この「普通の女の子に戻りたい」という言葉もとても」有名になりました。そして翌1978年に日本各地で1万人規模の解散コンサートを開き、4月に東京で5万5千人を集めるコンサートを開催して引退しました。

แคนดี้しかしその後、ランちゃんこと伊藤蘭とスーちゃんこと田中良子は、女優として復帰し、高い人気を得ました。キャンディーズのファンにとっては大変残念なことですが、スーちゃんは2011年4月に乳がんのため亡くなりました。彼女の死によって、キャンディーズの再結成の可能性はなくなりました。しかし今でも、大変多くのキャンディーズファンが、昔のことを懐かしんでおり、ユーチューブには過去のテレビ番組のビデオのアップロードが続いています。1950年代から1960年代前半に生まれた日本人の男性の中には、キャンディーズが忘れがたい青春のアイドルになっている人が少なくありません。


ピンクレディーは日本のアイドルの頂点に立った

พิ้งค์เลดี้

このキャンディーズの後半と重なったアイドルがピンクレディーです。ミーちゃんとケーちゃんの女性デュオです。彼女たちは一般の人がデビューできる可能性がある「スター誕生」という番組で合格しました。そして1976年にデビューし、1981年に解散するまで5年間活動しました。

พิ้งค์เลดี้ピンクレディーには、当時の最高の作詞家である「あく・ゆう」(阿久悠)と作曲家であった「とくら・しゅんいち」(都倉俊一)が付きました。大胆な露出をしたセクシーな衣装とダンス、そして軽快で楽しい歌が特徴です。デビュー曲の「ペッパー警部」で大ヒットしました。その後、「SOS」「カルメン77」「渚のシンドバッド」「ウォンテッド」「UFO」「サウスポー」「モンスター」「透明人間」と全てヒットし、どれもレコードが100万枚以上売れました。1978年には「UFO」で、女性アイドルデュオとして初めて日本レコード大賞を獲得しました。

พิ้งค์เลดี้その後、ピンクレディーはアメリカに進出し、日本人アーチストとしては「上を向いて歩こう」(アメリカではすきやきそんぐと呼ばれました)」の坂本九(さかもと・きゅう)に次ぐ成功を収めました。シングル曲の「Kiss In The Dark」が全米ビルボードの37位まで上昇しました。さらに3大ネットワークで「Pink Lady and Jeff」という60分のレギュラー番組を持ち、高視聴率を得ました。それは宇多田ヒカルを上回る成功です。ただ、ケイちゃんの恋人が日本にいたため、アメリカでの成功よりも恋を選んで帰国しました。

どうしてピンクレディーがそんなに人気があったかというと、子供から青年、大人まで幅広く支持を得たからです。それは彼女たちの明るいキャラクター、歌と踊りのうまさ、そしてお色気があったからです。それを阿久悠と都倉俊一という当時最強のクリエーターがプロデュースして、常に新しく、楽しい歌に挑戦したからです。

พิ้งค์เลดี้ピンクレディーは解散後も、1984年、1989年、1996年、2003年と再結成してコンサートを開くなど活躍してきました。2010年には解散30周年記念で再結成しています。1970年代当時のファンや、あるいは同時代の人々が、自分たちの青春を懐かしんで、ピンクレディーを支持しているからです。by Noboru

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